「雨引の里と彫刻」はすばらしい。
シンプルな地図に従って作品を巡り歩くと、林の奥や民家の軒先、集落の小道など、よそ者が普段立ち入れないような「里」の中へと導いてくれる。やがて、なんてことのない生活の場所であるはずの空間すべてが、実は芸術作品なのだと化けの皮を剥ぎ、わっはっはっは、うっしっしっしと笑い声をあげるような錯覚が訪れる。何度も「ああ、ああ、ああ」、「してやられた!」と頭を抱えて歩く。それが心地良いのだ。
それにしても作家諸氏は、作品を展示する場所を本当に良く見つけるものだ。
彫刻という立体を捉える目は、かくも鋭く環境を捉えるものなのか。作品や、作品展示に選んだ場所からは、地域の歴史や生き物、集落の人々に対する畏敬の念や優しさが感じられ、芸術とは、私たちの身近な生活にこそあるものなのだと教えられる。
この企画は、「雨引の里」のなかでも前回は山の中の集落、前々回は森に囲まれた集落と、毎回少しずつ場所を変えて行われる。今年の高久、鷲宿といった集落は、比較的平坦なところで、作品展示には少なからず苦労されたのではないだろうか。実際、筑波山を象徴的に取り入れた作品が重なってしまい、ちょっと残念に感じられた面もある。しかし、こうしたなかでも、よくぞと思う作品があった。ビニールハウスに置かれた作品。これを見せられたあとは、すべての農作業の空間が、どれも芸術作品に見えてしまった。見事にやられた、と思う今年の個人的な一等賞である。
今年は、これまでと違って住宅地や幹線道路をコースに入れて挑んだ点も、10回目近くを迎え、さらに新たな発展の可能性を感じさせるところであった。
それにしてもこの企画は、スタッフの手作り感があふれていて良い。普段の言葉さえも違うはずの芸術家と地域住民とをつなぐには非常な苦労もあるだろう。これほどの環境を見出し、作品を準備するのだから、毎年なんて無理をせず、2年おきくらいで調度良い。2年に1度開かれる美術展覧会だから、「ビエンナーレ」と呼んでも良さそうだが、だれもそう呼ばないところがかっこいい。背後に大手広告代理店やスポンサー企業の臭いがしないのも骨太感があって良い。訪れる人が少なく、ゆっくりできるのも良いが、その点はせっかくだから、もう少しPRをして、多くの人に見てもらおう。これを見逃したら、次は2年後まで待たねばならないのだから。まだ見てない人は、ぜひぜひ、最終日までに足を運んでほしい。
茨城県桜川市「雨引の里と彫刻」2011年1月15日〜3月21日
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